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妻の思い出 (2)

 妻の高校時代最大の「事件」は、麻布高校の文化祭の演劇に客演して麻布生のアイドルになったことだろう。
 男子校の文化祭に女子校の生徒を出演させるという、当時としてはまったく型破りなことを考えたのは、この芝居の脚本演出を手がけた沢田博さん。「ニューズウィーク」日本版その他の編集長として有名な、レジェンド編集者・ジャーナリストの、あの沢田さんである。
 どういう経緯で妻が麻布の舞台に出演することになったのか、詳しいことは知らないが、その前から沢田さんたちとなんらかの交流があったのだろう。
 
 ちょっと話が逸れるが、私は高校時代、ピーター・ポール&マリーのコピーバンドをやっていた。私は男子校育ちだが、当然、女子が必要である。友だちの友だち、という感じで、女子校に通っているめちゃくちゃ歌のうまい子と知り合い、彼女をスカウトして、2年ほど活動していた。だから私も男子校の文化祭に女子高生を出演させたのである。
 ちなみに、その女の子は高校卒業後、あるデパートに就職し、そのデパートのコーラス部の部長を長いことつとめていた。
 20歳くらいまで交流があったが、その後は連絡が途絶えてしまった。
  
 話を亡妻に戻すと、麻布の文化祭がきっかけになったのかどうか、知らないが、高校から大学にかけて、妻はどんどん演劇の世界にはまっていき、ついには大学を休学して、劇団の研究生になった。三島由紀夫が主宰していた浪漫劇場である。女優の卵だったわけである。
 妻は太地喜和子の大ファンだった。書棚には太地の伝記もある。演出家の木村公一さんとも親しく、木村さんが鎌倉の井上ひさし邸を訪れると、妻も呼ばれて井上邸に行ったりしていた。
 女優の卵時代の妻は眉毛を剃っていて、緑魔子によく似ていた。
 演劇の話に戻ると、女優の卵時代の「同期の桜」が、有名な名取事務所を主宰している名取さんである。名取さんは、俳優としても演出家としても才能がなかったのだが、プロデューサーとして大成功をおさめた人である。
 大学卒業後は演劇の世界から「足を洗い」、ホテルの通訳を経て、資生堂の宣伝部に就職したのだった。上記の名取さんの話では、女優の卵時代も、どこかお嬢さん育ちが抜けておらず、まわりと違って「品がいい」ので、目立っていたそうだ。だから「足を洗った」ときも、納得したという。
 
 
 時代を少し遡る。高校卒業後、国際基督教大学に進んだ。家からあまりに遠かったので、途中から大学の寮に入り、その後、荻窪あたりにアパートを借りていた。
 卒論のテーマは、イギリスのファンタジー作家アラン・ガーナーである。『ふくろう模様の皿』『エリダー』などが日本語に訳されている。妻はファンタジーというものにとくに興味をもっていたのである。「生涯のテーマ」のひとつだった。
 ガーナーに関しては後日談がある。私のサバティカルのとき、家族3人で一年半ロンドンに住んでいたのだが、妻はある学会で、自分が卒論を書いたそのガーナー本人に初めて会った。そして自分の卒論を思い出しながら、ガーナーのファンタジーの本質に関して、短い論文を英語で書き、ガーナーに送ったのである。
 英語に関して、妻は話すことと聞くことは私より遙かにうまかったが、話すのに比べると英文を書くのは得意ではなく、そのファンタジー論も、私が全面的に直してあげた。
 ガーナーからは、とても面白いという手紙がきた。そのガーナーの手紙は、きっと探せば、妻の書斎のどこかにあるはずだ。
 
 ガーナーはチェシャーの作家なので、ロンドン滞在中に一度、家族でチェシャーに旅したことがある。作品の舞台になったと言われる山に登ったりした。
 
 奇遇というか、ロンドンに住んでいたとき、ちょうど、BBCテレビが『エリダー』を実写ドラマ化し、毎週土曜だったか日曜だったかに放映していた。当時、小学5年生だった娘がこのドラマにはまってしまった。ビデオに録画して、何十回も繰り返し観ていた。
 じつは、うちの娘は幼い頃から大変な「男好き」で、まだよちよち歩きの頃に、空港で会った外国人の男の子に惚れ込んでしまったという「事件」があったほどだ。
 その娘が『エリダー』の主人公の少年に夢中になってしまったのだ。『エリダー』というのは、現実世界と異界とを往復しながら物語が進行するのだが、台詞はすべてチェシャー方言である。娘はそのチェシャー方言の台詞をほぼ完全に暗記してしまった。
 (続く)

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